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第二外国語選択の手引き 〜イタリア語編〜

※本記事は個人的な体験・感想からなります. あなたが同じような選択をしても同じような結果をもたらすとは限りません.

京都大学理学部2回生( 執筆当時) をしております. もしもこれを入試会場で受け取ったその年に熊野寮に入寮する方がいれば, 「3回生の人」としてお会いすることになるでしょう. 楽しみにしています.

1回生の頃に第二外国語をイタリア語で取った. イタリア語を選択した理由はなんかパスタとかピザとか好きだったから. イタリアに行って本場の味を楽しみたいとかいう意味ではなく, 雰囲気として. 将来バリバリに学問をしてドイツ語を使うビジョンも, バリバリにビジネスをして中国語を使うビジョンもなかったので, その程度の動機でいいかなという気持ちだった.

ところで, イタリア語を取ろうかなと悩んだ際にインターネットなどでいろいろ情報を漁ってみたりもした. その時に入手できた情報は,

という感じ. なにしろ情報が少なかったため何とも言えないが, まあ悪くないんじゃないのという気持ちで登録. この頃は自分があんなに悲惨な目に合おうとは想像だにしていなかった...

ここからは熊野寮にお引越しし, 授業を受けてからの感想.

人数が少ない.

本当に少ない. 正直嘗めていた. 京大にはメジャー言語とマイナー言語というジャンル分けが存在する. 入学前は自分の中の勝手なイメージで, メジャー言語7対マイナー言語3くらいだと思っていた. が, 実際のところはメジャー9対マイナー1と言ってもまだ甘いんじゃないかくらいのマイナーっぷり. そのマイナー言語の中でもイタリア語はことさら履修している人がいないようで(入学者3000人くらいに対して100人いないくらいなのではなかろうか), 熊野寮で聞いて回っても同期入寮の1回生はおろか, 一回り二回り年上の先輩に聞いても「イタリア語? 聞いたことないな. 」「友達の友達に取ってる人がいたような...? 」という程度の認識.

この「人が少ない」というのは致命的である. ちょっとサボってレジュメを貰う, 明日の宿題なんだっけ? と聞く, テスト勉強を一緒にする, などなど, 大学生活では生き延びるためにお友達と協力し合うことになるだろう. イタリア語を勉強している人間が寮内に自分ひとりだったため, コミュニティが大きく寮に依存していた自分は大変苦労した. クラスに友達作るからいいよ, という人も, 前述の情報をもう一度見ていただきたい. 人数が少なすぎて, 授業がクラス単位で行われていないのだ. いろいろな学部学科の人がいるというのはつまりそういうことである. イタリア語をお友達と乗り切るには, 限りなく低い確率の壁を乗り越えてクラスやサークルの友達を奇跡的に発見して乗り切るか( もし発見できたのなら本当に大切にしたほうがよいだろう) , イタリア語の授業のなかで友達を作るかの二択を迫られるということになる. なんだ後者の選択肢があるじゃあないか.

アットホーム...?

初回授業を受けたときは, アットホームな雰囲気? ? ? ? は? ? ? ? という気持ちだった. 休憩時間にささやき声すら聞こえないが? 授業は淡々と進むが? イタリア人講師マルコはちょっと怖いが? 「ペア組んで〜」って言われたから隣の人見たらこちらを見向きもせずに携帯いじってるが? ? ? これをアットホームな雰囲気と呼んだ人がいたのなら, その人の家庭環境にきっと問題がある. アットホームという単語を決して肯定的な意味で使ってはいないのだろう. そう思った.

別に「イタリア語取ってるやつは全員無愛想だから気をつけろ」と言いたいわけではない. イタリア語の授業がアットホームだという情報をネットに垂れ流した人だって, きっと嘘をついていたわけではないのだろう. 「当てにするな」と言いたいだけだ.

授業の内容というのは何で決まるか. これは「世界史」だとか「英語リーディング」だとかいう単語では決まらない. 「田中先生」「山本先生」といった単語で決まる. 当たり前といえば当たり前の話だが, 誰が教えるかによって授業の行われ方は違うのだ. 特に語学なんかでは差が大きいようで, ひたすら座学の講義, ペアワークが多めの講義, プレゼン発表なんかさせられる講義, 外国語の映画を観るだけの講義, など, どこの誰が教壇に立つかによって実に多様な講義が行われる. 何年か前にネットに書かれた「イタリア語は人数が少なかったためアットホームな雰囲気でした! 」なんて情報は一切信用してはならないのだ. もちろん, この記事だって信用することなかれだ.

そもそも「アットホームな雰囲気の教室」というのもあまり見たことが無い( もっとも, これを読んでいるあなたが教育学部か医学部医学科を受験しようとしているなら, 話は別になってくる) . クラスを生活の中心とする大学生はほぼおらず, 最も多いのは部活やサークルを中心とした生活を送る人だろう. クラスでは気の合う仲間を数人見つければそれで良い, という感じで, ましてやクラス指定でない講義にわざわざ友達を作ってやろうと行動しているひとはそうそういないように思う. そんな状況下でクラス全体がアットホームになるというのは考えづらい. よほど先生の影響が大きかったのだろうか.

ということで, あなたが余程の幸運の持ち主でなければ, すでにいる友達からイタリア語選択者が見つかることに期待してはいけないし, イタリア語を選択している人と授業を通して友達になるのも困難であろう. しかしまあ友達がいなくたって一人で乗り切れるのであれば問題ないのではないかという気持ちになってきたね.

通年科目

こいつがまた酷い. 通年科目とは何ぞやというと, 要するに前期と後期で分割しませんよという話である.

京大では1年に2回時間割を組むことになる. これが前期と後期. それぞれでテストを行い, それぞれで単位が認定される. ある授業の成績がどれだけ良くても半年で終わりだし, 悪くても同様である. これに加えて語学には文法の授業と演習の授業があるため, 「中国語前期文法」「中国語前期演習」「中国語後期文法」「中国語後期演習」というように, 理系であれば4コマ8単位を集めていくことになる. イタリア語にはこの前期と後期の区別が無い. もっと言えば, 文法と演習の区別も無かった. つまり「イタリア語通年」の8単位を集めることになるわけだ. これは大きく2点の弊害を生む.

1点目. 先ほども言ったように, 基本的にはある授業がどれだけ良くてもどれだけ悪くても半年で終わる. これが通年科目だとどうなるかというと, 5月のサボりが, 7月の小テストのあのミスが, 11月のサボりが, ひたすら1月の最終テストに向けて蓄積されていく. しかもそのテストは通常の2単位を賭けるテストではなく, 実に4倍の8単位を賭けたテストである. 人間というのは不器用な生き物で, テストが遠い時期には「まだ時間あるしいっか」とサボりを重ねるが, いざテスト直前になるとそのころの自分をしきりに恨みながら, 堅実な積み重ねによってであれば容易に突破で来たであろう分厚い壁を突貫工事で堀り進めることになる. 過去の自分を恨まないとプレッシャーでおかしくなってしまうのかもしれない. 1年8単位をかけたテストなんて大学1回のうちではそうそう受けることはないだろう.

2点目. これもテストの話になるのだが, 残念ながら不合格となってしまった場合にどうなるかの話だ. 「再履修」という制度がある. 大学には「この授業は取らないと卒業させてあげないよ」という授業がいくつかある. 第二外国語もそのひとつだ. 卒業させてあげないよ, というくらいなのだから1回生で一度落第したからといって留年が確定するわけではない. 「再履修」をすることができる. 例えば, 「中国語前期文法」「中国語前期演習」「中国語後期演習」は合格したけど, 「中国語後期文法」は不合格だった! という人がいれば, 2回生になってから「中国語後期文法: 再履修クラス」を取りなおせば, めでたく卒業へ一歩前進だ. 余談だが, 再履修クラスというのは通常のテストで点が取れなかった人が集まる場所であるだけあって, ちょっと授業が優しかったりする. 先生にもよるが. 察しのよい皆様ならお気づきかもしれない. 通年8単位のイタリア語のテストを落としてしまうことと, 他の第二外国語のテストを落とすこととの違いが. 部分的に履修しなおせばよい他の言語とは異なり, イタリア語は丸一年かけて取りなおさなければならないのだ. さらには私の把握している限りではイタリア語に再履修制度はなく, 1回生が受ける授業をもう一度取り直すことになるのではないかと思う. この違いは「テストのプレッシャー」としてのしかかってくることになる. 発狂ものである.

総評

私は, イタリア語を取っている友達をみつけることができず, イタリア語クラスの人とも友達になれず, 1年間サボってきたツケとプレッシャーに押しつぶされそうになりながら, めでたく及第点ぎりぎりの点を取って試験に受かった.

脅すような書き方になってしまっているが, もちろんこれは数多く, いや, 多くはないが, イタリア語履修者の一人にすぎない私が体験しただけの限られたケースであるとは言えるかもしれない. コミュニティが寮内でほぼ完結しており, 新しく友達を作る努力もあまりせず, 授業もサボりがちで勉強もあまりしていなかった私だからこそ苦しめられたのかもしれない.

イタリア語クラスの良いところもたくさんある. 通年科目はこまめに勉強する事さえできれば半年で終わるテストよりも長い期間準備することができるし, こまめな積み重ねが得意な人には向いているかもしれない. また, 難易度の話をすると, 文字はすでに慣れ親しんだアルファベットだし, 発音も基本的にはローマ字読みであるため新しく覚えることが少ない. 文法もあまりこまごまとしてはいない印象で, テスト前にぶっこみで勉強したわりにはテストの問題文はかつがつ読めていたと思う.

しかし, 履修者が少なく通年科目であるイタリア語特有のデメリットが存在するというのは紛れもない事実である.

「一通り読んだけどそんなにデメリットだと感じなかったよ」という人, いいと思います. 頑張ってください. 「デメリットだとは思うけど, それでもイタリア語を取りたいんだ! ! 」という人, 是非取ってください. その気持ちがあればだいたいのことは何とかなると思います.

でも, 「なんかパスタとかピザとか雰囲気好きだからイタリア語にしようかな」という人で, これ読んでちょっと不安になってきた人は, 中国語とかドイツ語とかを選択肢に入れて再考してもいいんじゃないでしょうか.

パスタとかピザとかは, それはそれとして楽しもうじゃありませんか. イタリア語よくわかんなくたって, 寮のピザ窯で焼いたピザは美味いよ.

(文:サルヴァトーレ・インテリヤクザ)