2020年 熊野寮入寮パンフレット
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竹取物語偽文

いまはむかし積読の翁といふものありけり. 附図書にまじりて, 本を借りつゝ, 萬のかさに重ねけり. 名をば信濃造となんいひける. その本の中に, 表紙光る本一冊ありけり. あやしがりて寄りて見るに, 頁の中ひかりたり. それを見れば, 三寸ばかりなる人いと美しうて居たり.

いまとなっては昔のことだが, 積読の翁という者がいた. 講義をさぼっては, 附属図書館を意味もなくうろうろし, 借り出した大量の書籍を自室にらちもなく積み上げていた. 名前を信濃造という. けだし, 信州信濃の産であったのだろう.

この翁, 手に入れた本を, こたつといわずベッドといわず寮の自室にためこむ悪癖があった. 京大の図書館やら大学前の古本屋やらが, 翁の主な襲撃先であった. しかし, 附属図書館の貸し出し冊数は5冊までである. また, 翁は奨学金暮らしであったので, 一月の書籍代は1万円がせいぜいであった. それでは, 大学支給の本棚をゆがませ, 居室のコンクリ製の床を陥没せしむるほどの書物は, いったいどこから運び込まれたというのであろうか.

京大には, 附属図書館, 吉田南図書館をはじめとして, 教育学部・理学部・法学部・経済学部・医学部・工学部などの各学部・大学院の図書館, そして各研究室の有する図書室に至るまで, 無数の図書館および図書室が存在するのである. 中でも, 翁の属する文学研究科図書館は, 学内最大の蔵書数を誇り, 地下3階に渡る広大かつ複雑な大書庫は, さながらクレタのラビュリントスのごとくであった. 文学部の学生であれば一度に25冊を2か月に渡って借りることが可能である. さらに, 他学部や他キャンパスの図書館に襲来すれば, いくらでも本を借り受けることができるからくりであった.

翁には, 一つだけ怖いものがあった. 大学図書館の本を延滞した際に受ける罰則である. 借りた本の返却期限を1日でも過ぎると, 手元の本は「罰則適用図書」なる世にも恐ろしげな名前で呼ばれ, 延滞した日数と同じだけ, 当該図書館から本を借りることができなくなるのである. 入学した当初, 再三の督促メールにも気付かず, うかうかと一週間本を延滞してしまった翁は恐懼した. 本を返却したら最後, その後一週間は附属図書館を利用できないのである. 非常な恐怖にとらわれた翁は, 本をずるずると借りっぱなしにした. 翁の積ん読の初めである.

君子本屋に近寄らず. そんな警句を虚しく口中につぶやきながら, 翁は寮の自室に帰ると, 今日も今日とて生協の本屋で買い求めた新刊を, 本の山の頂上に重ねあげた. ピラミッドどころの騒ぎではない. 中国の泰山を彷彿とさせる, 峨々たる本の山の頂には, 今しも春の雪が舞い降りている. 季節を間違えて冬眠から早く目覚めてしまった熊が, 降り積もる雪の下の早蕨を鼻先で探していた.

何の事は無い. 長らく掃除をしていないカーテンレールから埃が降り注ぎ, 熊のように大きな蜘蛛が, 本の山をかさかさと歩き回っているのである.

さて, そこで翁はいよいよ妙なことに気づいた. 本の山の中腹に, 金色の光が見えたのである. これは怪しいと泰山の麓に近寄って見ると, 極楽へと導く阿弥陀仏の乗る彩雲ばりに光り輝いているのは, フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』であった. 記憶を探ってみれば, 翁の初めての積読本である.

翁は, 金色の光を放つ書物をおそるおそる手に取り開いた. すると, 書物のページの間から, ブワっと細かい紙屑が舞い上がった. 紙吹雪の向こうにかろうじて見えるのは, 紙魚の害によりぼろぼろになったページである. 果たして翁は, ページの上にちょこなんと座している小さな姫君を見出したのであった.

女の子はてのひらほどの大きさで, 当世風の夜会ドレスを粋に着こなし, 白魚のような指でシャンパングラスをつまんでいた. 萬の言の葉を糸として編み上げられた繭の中で, むくむくと育ったのであろうと, 翁は考えた.

積読本から生まれた姫君は, 翁のもとで数ヶ月の間にもりもりと成長した. 翁は姫君を名付けて「読めや姫」とした. 輝かんばかりの美しい女性となった読めや姫の名は, 寮内に聞こえ渡り, 名だたる寮生たちの求婚を受けるまでとなった.

読めや姫の求婚者の一人は, 時の寮長であった. 執拗にプロポーズを繰り返す寮長に, 読めや姫はとうとう寮食のツバメの巣を要求した. 昼寮食は260円, 夜寮食は390円である. 寮食にツバメの巣が供される可能性は, たまたま大学の図書館で手に取った本に, 小学生のときに失くした手作りの栞が挟まっている可能性に等しい. 寮長は業務スーパーで春雨を購入し, 茹でて透き通ったそれを, 涙ぐましい努力でいちいちお椀状に組み立てては, 寮食の味噌汁に入れた. しかし, ツバメの巣といえば, 故郷の家の軒先にへばりついた泥と草を固めた灰色の巣しか知らない翁によって, 寮長のニセツバメの巣の策略は粉砕された.

読めや姫を恋い慕うあまり, 寮長はついに強硬手段に出た. 読めや姫に対して, 自分との交際を承諾しないのであれば, 育ての親たる翁を強制退寮処分にするぞと脅したのである. 翁は慄いた. 一ヶ月家賃水光熱費込みで4100円のこの寮を追い出されれば, 京都を去るよりほかにない. 翁は, 自分の保身のために, 寮長との交際を受け入れるよう, 読めや姫に哀願した. 読めや姫は, 澄みきった冬の三日月のごとき眉を, 一筋だに動かさず, 寮長を寮内のさるべき部会に突き出した. 寮長は, あっさり強制退寮処分になった. ( 熊野寮には, 万が一このようなパワハラを受けても話を聞いてくれる機関が設置されているぞ! )

脅迫を逆手に取って, 寮長をまんまと追放した読めや姫は, その類まれなる美貌と血の通ったものとは思えぬ冷たい奸智によって, 寮の裏の権力者へと上り詰めた. 読めや姫が, 朝にほかほかのご飯が食べたいと言えば, 朝寮食はパンから炊きたての白米に変更され, 夕に日本酒一斗を所望すれば, 間をおかずに近所の酒屋から届けられた. 伊達にシャンパングラスを握って産まれていない. この読めや姫, かなりの酒乱だったのである. 読めや姫の権勢は, 現在では寮の敷地となっているこの場所に御所を建造した, 千年の昔の白河上皇にも及ぶかに思われた. 読めや姫は, 伏見から取り寄せた日本酒を水のように飲んでは, 「この世でわれの思い通りにならぬものは, 鴨川の水, さいころの目, 女子シャワー室の待ち時間」とのたまった. この頃には, 翁は積読をやめていた. 夜な夜なコンパを開いては上等な酒をくらう読めや姫の遊興のために, 生活費が火の車になっていたのだ.

しかし, 寮内に逆らう者のない, この世の春を謳歌しているはずの読めや姫は, ときどき中庭の民青池を悲しげに見やるようになっていった. 「どうしてそんなに池を見るのか」と翁が問うと, 読めや姫はさめざめと涙を流しながら「実は私は民青池のヌシの娘で, 池が満水になるとき, 池の底の宮殿に帰らねばならぬのです」と打ち明けたのである.

翁は, 即座にしめた, と思った. 民青池さえ満水にすれば, 金食い虫である読めや姫を追い出すことができる. 読めや姫の, BSアンテナほどもある大盃に消えていた生活費を, 再び書籍に費やすことができるのである. 他ならぬその積読から読めや姫が生まれたことを, 翁はすっかり忘れていた. その日から翁は, どうやって民青池を満杯にするかばかりに頭を悩ますようになった.

最初に翁は, 近くの蛇口からホースで民青池に水を注いだ. しかし, これはすぐに読めや姫の知るところとなり, 中庭の水道はただちに破壊された. 頭を抱えた翁のもとに, ある日怪しげな道士が現れた. フードを目深にかぶったその道士は, 自らを霹靂大人と名乗り, 翁のために雨乞いをして進ぜようと申し出たのだった.

霹靂大人は, 寮のA棟の屋上に出ると, 給水塔の上で剣をひらめかせて激しく踊りはじめた. するとどうだろう. にわかに黒雲が巻き起こり, 稲光が金の竜のように空を舞い始めた. 冷たい雨が針のように肌に突き刺さり, 突風が霹靂大人の長い白髪をちぎらんばかりに吹き付ける. 翁はおお, と叫んで目を見開いた. 寮の屋上から見える東の大文字山が, 五山送り火の夜のように, 大の字をぎらぎらと赤く輝かせているのである. 反対側の西を見れば, 左の大文字山も同じように怪光をまぶしく放っている. さらに振り返れば, はるか南のほうで, 鉛筆のように見える京都タワーが天にまっすぐ光線を伸ばしていた. 寮は, 右と左の大文字, 京都タワーの三点を結んだトライアングルの中に入っていたのであった. 黒雲はきれいに, トライアングルの上空にだけかかり, 雨を降らせている.

しかし, 雨よもっと強まれ, と翁が念じたその途端, 空はピタリと泣きやんで, 黒雲がみるみるうちに去り始めた. 快晴のもときらめく陽光に照らし出されて, 翁は髪から雫を垂らしたままぼうぜんと屋上に立ち尽くした. 霹靂大人はと見やれば, かの道士もまた剣を片手にだらりと下げたまま, 青空をにらんでいる. その青空の東の端, 右の大文字山の方向から, 何か黒い影が寮に向かって猛烈な速度で飛んでくるのが目に入った.

その黒い影は, 寮に近づいてくるにつれて, 袈裟をまとい旅笠をかぶった僧侶の姿に変化した. 霹靂大人が口角泡を飛ばして叫ぶ.

「あ, あれは弘法大師! ! 」

説明しよう. 1200年前に日本に真言密教をもたらした天才・弘法大師こと空海は, 大文字山の霊廟に魂の一部を遺して, いまなお京都の街を守っているのである! そのお膝元で異変ありと知って, 彼がお出ましにならないわけがなかった.

弘法大師空海は, 手の錫杖をシャラン, と振って大文字山の大の字を燃え立たせると, その炎を霹靂大人と翁のほうに飛ばしてきた. 霹靂大人は, 額に汗を浮かべて呪文を唱える. よみがえった伝説の僧侶VSうさんくさい道士の時を超えた呪法合戦が, 熊野寮を舞台に始まってしまったのである.

弘法大師空海の起こした大風が, 屋上に干された洗濯物を空へとフライアウェイさせる. 霹靂大人は, 負けじと寮内の野良猫を操って, 弘法大師にけしかけた. しかし, 弘法大師の衆生一切を救済するスキルによって, 猫たちはメロメロにされてしまう. 追い詰められた霹靂大人は, 最後の手段として, 翁の居室を呪法によって粉砕すると, そこで眠っていた読めや姫を叩き起こした. 昨夜のコンパによる二日酔いと寝起きの低血圧気味の頭により大不機嫌な読めや姫は, 誰彼かまわず八つ当たりをする, 最強にして最悪の人型兵器なのである.

読めや姫は, 寝癖のついたぼさぼさの頭をかきむしると, その長い黒髪をふっと引き抜いた. 針のように硬くなった髪が一直線に屋上に飛んできて, 有無を言わせず, 弘法大師, 霹靂大人, 翁の動きを封じてしまった. 敵味方を瞬殺した読めや姫は, 赤い目のままスウェット姿で二度寝に戻っていった.

翁は考えた. なんとか読めや姫を, 民青池の汚い水底に叩き込むすべはないか. そしてついに, 民青池を舞台にした伝統行事を思い出したのである. 毎年, 中庭で行われるコンパでは, テンションの上がった寮生が, 民青池に飛び込むことが少なくない. 民青池は冷たく汚いので, 覚悟もなく飛び込んだ者は, 一枚ものの初音ミクTシャツをどろどろにしたうえ, 熊野風邪をひいて, 泣きべそをかくことになるのだが, 愚かな寮生たちは懲りずに何度でも飛び込むのである.

一度にたくさんの寮生が民青池にダイブすれば, 池の水があふれるのではないか. 翁は, 混雑した銭湯の図を思い浮かべた. しかし, それにはまだ, 気骨のある熊野寮生が足りない. 翁は, 次の春に入寮してくる新入寮生が, ともに民青池に飛び込んではくれないかと, 今日も首を長くして待ち望むのであった.

(文:仏子)